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自分の道は自分で拓け!
       
〜トラック配送から提案型企業へ「みつる急配」〜

豊かな時代になり、個人消費が伸びるにつれ、多種多様な商品群が市場に溢れるようになりました。厳しい価格競争の中、多品種ではあっても在庫をもたず、効率的に生産・販売することが中小製造業にとってますます急務となってきいます。しかしながら、問題解決に不可欠と期待されるITシステムは複雑で、言葉の意味すらわかりません。やらなければならないとはわかっていても、 なかなか投資に踏み切れないのが実情なのです。
そんな中、ある運送会社の社長が立ち上がりました。八尾に本社を置く自動車運送事業の「みつる急配株式会社」社長、辻野潤さんです。


    価値ある在庫管理を

辻野社長の発想は、現場から産まれました。「毎日商品を配送していると、どこの会社も在庫管理に苦労しているのが手に取るようにわかります。どうして苦労しているのかというと、『どこでどれだけ物が売れたのか』『どこの倉庫にどれだけ商品があるのか』を即時に知る仕組みが無いからなのです。」 そこで、辻野社長は考えました。「これらの情報をどこからでも目に見えるようにするだけで、不良在庫が減って楽になる!」と。

思い立ったら即実行の若き辻野社長は、「価値ある在庫管理」を目指して早速システム作りに取り掛かりました。これこそが、「M-express core」と名づ けた物流システムなのです。平成16年秋、みつる急配が参加するJIA(日本情報 振興協同組合)のフェアで公開するやいなや、引き合いが後を絶たないこのシステムは、わかりやすい物流システムとして、今まさに市場に登場しようとしています。

しかしながら、辻野社長がこのシステムを考え出すまでには、実に5年弱の試行錯誤がありました。もっと言えば、その試行錯誤に至るまでの道のりこそが、若くして自社独自のシステムをサービスする「みつる急配」を産み出したので す。


    散髪屋には向いていない

辻野社長の生家は、両親が営む理髪店。高校を卒業したらそこを継ぐべく、 理容の勉強をするつもりでした。しかし、やんちゃな辻野さんに手を焼く両親は、「あんたは散髪屋には向いてない。自分で自分の道を見つけて来なさい」 と跡継ぎを拒否。そう言われたら余計にやんちゃ魂に火がついた若き辻野さんは、「ほんなら自分でやるわい」と社会に飛び出したのでした。18歳で社会に飛び出した辻野さんは、手当たり次第に色々な仕事に就きました。しかしながら、どれも長続きしたものはありません。「サラリーマンは自分には向いてないなぁとほんまに実感しました」という辻野さんは、いつしかトラックの運転手となっていました。車好きの辻野さんは、この仕事だけは長続きしたのでした。

こうして運送業に足を踏み入れた辻野さんは、自分で会社を立ち上げることになっていくのです。

●みつる急配
http://www.mitsurukyuuhai.co.jp/

●JIA日本情報振興協同組合
http://www.jianet.or.jp/

●JIA日本情報振興協同組合関西支部
http://www.jianet.or.jp/~kansai/fair.html
※11月12日フェア最終として関西で行われます。「M-express core」をご覧いただけますので、どうぞお見逃し無く。





価値ある在庫管理を提案するためのシステム「M-express core」で注目されている「みつる急運株式会社」。今でこそ運輸業界の若手社長として大成功を収めている辻野社長ですが、ここに至る道は決して平坦なものではありませんでした。実家の理髪店の跡取りを両親から断られ社会に出た辻野さん。行き着いた先はトラックの運転手でした。


 

    一月340時間働いても楽しい

車が大好きな辻野さんは、トラックに何時間乗っていても全く苦になりませんでした。車を運転することも楽しかったのですが、何よりも物を運ぶことで得られる喜びがありました。荷物を引き受ける・運ぶ・下ろす、そのすべてに工夫の余地がありました。自分がどう工夫しようが誰にも文句は言われない、おまけにお客さんからは喜ばれる。「自分で決めたこと」をやりたい辻野さんには、この生活が楽しかったのです。毎日色々な工夫を繰り返している辻野さんの姿が、色々な人の目に留まっていくのは自然の流れでした。

そんなある日、業界の先輩から聞かれました。「一体いくらもらってるん?」 辻野さんは、長時間勤務による収入は決して少ないと思っていた訳ではありませんでした。親から独立して、当時19歳の自分にすれば、十分な収入を得ている自信があったのです。しかし、その人から「自分らで軽貨物事業をやってみないか」と誘われた辻野さんは、「自営の虫」がむずむずするのを感じました。

こうして、平成元年2月1日、辻野さん19歳の冬、仲間3人と自営業へと乗り出 したのでした。


    言い出しっぺがまず降参

こうして「みつる急配」の前身である運送グループが産まれました。しかしながら、始めてはみたものの、仕事がありません。今まで蓄えた貯金も瞬く間に底を付いてしまいました。そうこうしているうちに、「軽貨物事業をやろう」 と言い出したリーダーが「もう自分には無理」と辞めてしまいます。

困り果てた辻野さんですが、何とか先輩が残した軽トラックを使って事業を続けていきました。そんなある日、交差点で信号待ちをしている辻野さんに、声を掛けた人物がいました。以前トラック運転手をしているときにかわいがってくれた得意先の担当者でした。「ひさしぶりやな。こんなとこで何してるねん?」と聞かれた辻野さんは、今までのいきさつと現状を話しました。

「そんなんやったら、うちの仕事したらええねん」この一言で、運命が変わりました。その得意先は、従業員250人を誇る印刷会社で、全国の折込ちらしを配達する業務を任せてもらえたのです。ただ配達するのではなく、自分なりの工夫を凝らしていた辻野さんを、担当者の方が覚えてくれたのがきっかけでした。

この縁で、平成2年5月1日、創業から15ヶ月目に「みつる急配有限会社」と していよいよ本格的な会社経営がスタートしました。驚くことに、こういう偶然は、このとき一度きりではありませんでした。そして、その縁によって、またもや辻野さんは次のステップへと進んでいったのでした。





トラックの運転手として力いっぱい仕事をしていた辻野さんのところにある日持ち込まれた独立話。決心固めて独立したら、誘った本人がまず辞めてしまう。どうにもこうにもならなくなった辻野さんが偶然出会った昔の取引先の人にもらった仕事で息を吹き返し、とうとう有限会社を立ち上げました。


 

    お客さんから言われたことなら

「みつる急配有限会社」となってしばらくしたある夜、辻野社長は取引先の集まりに出席していました。そこで、またもや取引先の役員と再会します。その人も辻野社長に「新しい物流が要るようになるから、全部やってくれ」と持ちかけました。業界の中でも色々な折衝が必要と感じた辻野社長は、何とか勘弁してくれと断りますが、相手が一枚上手でした。「絶対断られへんと思ってがんばってやりますと引き受けたんですわ」。この取引がきっかけとなって、今度は株式会社に改組します。平成9年10月のことでした。


    自分のトラックを転がすことが夢だったけれど

気が付くと、「自分のトラックを転がす」という夢が実現していました。会社名が大きく書かれたトラックがあちらこちらを走っているのです。しかし、ここで辻野さんは考えました。「これからは、自分のトラックを転がす時代じゃない。荷物を頭で運ぶ時代や。情報を伝える時代になったんや。実際に物を運ぶことで満足してたらだめ。それにはどうしたら・・・」

このころ、IT化の大きな波の中、大手の取引先は次々とITをやネットワークを効果的に活かした物流システムを構築していました。辻野社長は、このシステムこそ、物流業界に関わるみんなのために絶対必要なシステムと考えました。製造現場は『どれだけ何を作ればよいのか、作ったらどこに運ぶのか』 知りたがっている。お店は『いつ何が入ってくるのか、どの倉庫に物があるのか』知りたがっている。つまり、倉庫を中心として、その前後の物の移動の情 報がきっちりと分かれば、無駄の無い製造や移動ができると考えたのです。

これからは、『運送会社もシステムを売る時代』と確信した辻野社長は、取引先と協業して、携帯電話を使った配送システムを開発開始しました。平成14年のことでした。このシステムが平成15年に完成しました。しかし、辻野社長 は満足しませんでした。「もっと誰でもすぐに役に立つシステムにしないと、使う人を選ぶシステムでは、誰もが助かるシステムにはならないと思うんです」 という辻野社長。「何かを作ってどこかに運ぶ」「基本を作って基本の循環提案」のアシストというサークルがあるならば、誰でも使える『価値ある物流ネ ットワーク』になるという強い思いで、『M-express core』の開発が始まりま した。

「物流ポータルを構築することで、もっともっとデータが生きてくる。みんなが必ず使えるシステムであることで、きっと付加価値が生まれてくると思います。」という辻野社長。そんな辻野社長が社運を懸け、夢を実現しする 『M-express core』に、期待したいと思います。

みつる急配
http://www.mitsurukyuuhai.co.jp/





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