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「おかげさまで、ニッセンは35周年」

ニッセンは今年、創業35周年を迎えます。創業前は呉服を製造販売する会社でした。古いしきたりが多い業界では、自分たちで作った商品を自由にお客様の手に届けることができませんでした。何とかしてそれを打破したい。。そのような熱い想いが、今の通信販売というビジネススタイルを構築するきっかけとパワーになったのです。
今では国内通販業界の大手企業にまで成長しました。国内に止まらず、アジアの同業者と提携し市場を海外にまで広げつつあります。また国内では社会貢献への取組みを始めるなど「ちょっといいな」と呼ばれる企業を目指しています。このように同社が今日まで歩んできたサクセスロードをたどってみることにします。


    創業秘話

「Nissen」と大きく書かれたカラフルな飛行船が4月から5月にかけて、福岡から札幌までの縦断飛行を行いました。ご覧になった方もたくさんいらっしゃるでしょう。少々派手なデモンストレーションに「景気も回復していないこの時期になぜ?」と思われた方もいらっしゃるではないでしょうか。しかしそこにはニッセンの熱い思いが飛行船いっぱいに詰め込まれていたのです。

ところで2003年度のニッセンの売上高は1566億9400万円(前年比9.8%増)でした。営業利益も125億円(同20.6%増)と好業績を確保しました。お客様の声を大切にし、お客様からご支持を得られた結果だと確信しています。これからも、一人一人のお客様の声をしっかりと受け止めて行きたいと思います。

ここに到達するまでには創業から35年を要しています。飛行船は、そんなニッセンの姿を多くの人たちに見てもらうと共に、これを機により一層、お客様や社会とのふれあいを創り出していこうとする新たな思いを形にしたものでした。ニッセンが、今の通販事業を始めたのは1970(昭和45)年4月でした。

もともとは京都で着物の染色を行う日本捺染(京都市)というメーカーの商事部で始めたものでした。そこを分離し、株式会社日本染芸を資本金200万円で設立したのが、その年でした。京都の本社と秋田営業所でカタログによる呉服の販売を始めたのが第一歩です。

日本捺染は染色メーカーと言っても、自分たちが作った製品を自分で好きなように売れない、といった問屋さんからのきつい制約を受けていました。当時を知るある幹部社員は、次のように話しています。

「いい品物を作っても問屋さんに気に入ってもらえないと、自分たちで値段を決めることどころか、売ってもらうことさえ出来なかったのです」

もっと高く売れるはずだと思っている商品でも、「値段はウチが決める」という問屋の前には言いなりになるしかなかったのです。

それだけではありません。

本当は20代、30代の年代の人たちに売りたいのに、問屋さんは50代、60代の人たちに売ろうとしたり、仕立て上がりを展示して、丁寧に説明しながら売って欲しいのに、反物で売ろうとする。さらにいろんな販売店でたくさんの人たちに買ってもらいたいと思っても、「勝手に売ったら、これからは日本捺染の製品は扱わないからね」と脅されるほどだったといいます。

このままでは売りたいものを自由に売るといった、商売人として基本的なことができない。せっかくいい物を作っても、本当に買ってもらいたい人の手に届けることができないい。そんな歯痒い時代が続きました。

そのような時、飛び込んで来たのが浜松市に本社を置くムトウ衣料という会社が、全国の婦人団体を対象に衣料品の直接販売を行って実績を上げている情報でした。しかも会員の主婦にチラシを回覧して、羽織の大量注文を得ているというのです。

「今の我々の悩みを解決してくれるのはこれしかない」と、立ち上がった創業者の故川島会長は、すでに欧米では一大市場を形成していた通信販売に乗り出すことにしました。カタログ販売で「自分たちの商品を自分で売ろう」と決心したのでした。でも取引先もなく、どこで、どのようにして売ったらいいのか、さっぱりわかりません。

手探りの状態でのスタートでしたが、ふと頭に浮かんだのが、全国に13万件あると言われていた美容院にカタログを置いてもらい、顧客に勧めてもらうという方法だったと言います。これなら自分たちの商品を思う存分に、お客様に届けることが出来る、と社内は沸き立ったといいます。

これが”ニッセン”の始まりでした。





全国の美容院約13万軒を足場に呉服のカタログ販売を始めて20年が経過した1991(平成)年には、ニッセンの売上げ高は480億円になっていました。文字通り絵に描いたような急成長でした。
そこへたどり着く過程には「ダイレクトマーケティングへの大転換」といった大英断がありました。74年12月、社名を日本染芸から今の「ニッセン」に 変更し、その前年の73年には全国48ヵ所に営業所を設立し終わり、販売エリアを全国に拡大しています。
75年7月からはそれまでの呉服中心のカタログに加えて、総合カタログを発行し衣料品、家庭用品などの販売も始め、新たな顧客を開拓することにも乗り出しています。


 

    急成長の兆し〜戦略転換〜

そうした動きの中で急成長していきます。その要因のひとつには美容院の存がありました。美容院にやって来る女性客たちに呉服を勧めてもらい、成果応じて販売手数料を支払うという手法が当たったのです。今で言う 「BtoBtoC」でしょう。呉服の小売とはまったく縁がないと思われていた美院に目を付けたのが、呉服の潜在需要を掘り起こすことにつながったのでし た。

しかしそれもしばらくすると、カタログ効率の低下によって事態は変化していきます。販売量が減少してきたのです。それまではカタログ販売と言っても、今のシステム化された通販と違って、まったくの美容院頼みで、最終顧客であるユーザーの顔が見えていませんでした。だからニッセンは顧客に直接、商品購入を働きかけることができず、そのためにリピート購入の促進や顧客の拡大に限界が生じていたのでした。

当時はまだ通販の世界では欧米がはるかに進んでいました。そこでニッセン が導入することにしたのが、欧米では当たり前のように用いられていた顧客の購買履歴データから顧客の評価を行うという「RFM(Recency Frequency Monetary)」といった顧客分析の手法でした。

これは顧客をランク化・グループ化することで、購入回数や購入金額などの 顧客傾向を知るというものです。確かに美容院を経由した販売は効果はありましたが、顧客の分析がまったくできていなかったために、無闇やたらと美容院へカタログを配布するだけだったのです。

顔は見えないものの、ニッセンにはすでに数多くの顧客アドレスと取引履歴がありました。これをRFM分析法で顧客の評価を始めることにしました。この思い切った方針変更には「低迷しかかっている売上げを再び上向かせることが可能になる」(同社)との判断がありました。

それを境にニッセンは、次回購買しそうな顧客を見つけ出し、その購買チャ ンスの高い顧客に集中的に販促や広告の費用を投じるといった方法に変更していきます。これはまた「BtoBtoC」から「BtoC」への移行でもありました。利用客一人ひとりの購入履歴などを分析することで、誰が何を求めているのか、誰にどんな販促を提供すれば購買につながりやすいか、といったことが分かるようになったのです。

それによって購買客を発掘できるだけでなく、仕入れ量を予測することも可能になります。在庫になって残るような無駄な商品を作ったり、仕入れる必要がなくなり、効率のいい経営へつとながっていったのです。

今、ニッセンは1950万件もの膨大な数の顧客アドレスを保有しています。これは全国の世帯数の約2.5世帯に1世帯という計算になります。またカタログの配布数は年間4500万冊で、全国8ヵ所にある同社のコールセンターに寄せられる商品注文や問い合わせの電話件数は、年間約1000万件にもなると言 います。いかに全国津々浦々まで、ニッセンの通販が行き渡っているかを証明 する数字でもあります。

こうした膨大なニッセンの顧客資産は、すべてダイレクトマーケティングへの戦略転換によって生み出されてきたものなのです。


    事業の低迷とV字回復

通販事業は超多品種の商品を最小コストで小口出荷できる能力が求められま。ニッセンは1993年8月、福井市内に「福井ロジスティクスセンター」を 建設しています。ここでは1日に最大20万点の商品が出荷されています。年間にすると3500万点にもなります。

もともと通販事業開始当初から京都市南区吉祥院這登中町の通販事業部の建物に隣接して配送センターを設けていましたが、ここが手狭になってきたことから福井へ移転したのでした。

しかし売上げが拡大していくに従って福井だけでも賄いきれなくなってきました。そこで1995年9月に三重県いなべ市藤原町に「三重大型商品発送センター」を建設し、家具などの大型商品の保管と発送をここに移転しました。ここでは年間381万個の商品が発送されており、重要な配送拠点になっているのです。

ロジスティク機能の拡充は業績の向上と比例しています。1991年には480億円であったニッセンの年間売上げは、4年後の95年に3倍近くの1430億円に膨れ上がっています。

この通販事業の急拡大の背景には「海外生産による価格戦略と大規模顧客開発」があったことが見逃せません。原材料の調達から生産、製品検査まですべて海外現地で行い、できあがった製品を国内に輸入するという方式です。すべてを海外に依存することで低コストに抑え、国内での販売競争に耐えられる価格帯を作り出すことができます。その窓口となったのが香港、韓国の海外事務所で、今では北京、上海、深セン、台北、ジャカルタ、バンコクにも海外事務所があります。

三重県の四日市港に陸揚げされる輸入コンテナの25%は、ニッセンの家具や寝具で占められている、といった数字を見るだけでも、いかに同社の海外生産の比率が多いかがわかるでしょう。

しかし拡大基調はいつまでも続くとは限りません。96年秋から異変が生じ始めます。「売上げが伸びていく陰で在庫額が3.8倍にも膨らみ、しかもデッド在庫の比率は20%〜35%といった最悪の状態になっていた」(ニッセン)のでした。しかも悪いことは重なります。売上げの伸びは業務量の増加となって、従業員への負荷も高まり、それは欠品の続出などサービスの低下につながっていったのでした。品質や応対に対するクレームの電話も増えてきたといいます。さらにこれは「無駄な経費の増大」へとつながっていきます。

こんな問題を抱えたまま5年が経過します。売上げは1035億円(99年)にまで落ち込み、社員の早期退職や減給、賞与の大幅カットといったリストラが進められていきます。

「これじゃローンも払えない−といって辞めていった人たちもいました」拡大期には、「見てるだけ〜」という流行語にもなったテレビCMも投じていましたが、もちろんコマーシャルも大削減です。見ているだけではもう首が回らなくなってしまった同社は、2000年から長期低迷を脱するための業績改善策を打ち出し、回復へ道を歩み始めます。ちょうどそれまで眠っていた龍が起き上がるかのように。

「当社の経営資源で最も大きなものは顧客データベース、海外調達力、ビジネスインフラのでした。それを有効に活用する方策が取られていなかった」(ニッセン)のでした。

その原因は、マネジメント体制が不十分であったこととお客様の声が経営に反映していなかったからです。大規模な組織変更を行ない適材適所への人材配置転換をしました。会議体系を見直し、意思決定ルールの統一を行うことで風通しの良い組織になりました。そして、人材活性化のための給与体系の見直しなどに着手したのです。これによって、部分最適から全体最適を実現する会社へと生まれ変わりました。

また、お客様の声委員会を設立し、経営者から一般社員まで全てがお客様の声に毎日目を通し、地道な改善を繰り返してきました。お客様の立場に立って考え・行動することで今までは無理だと諦めていたことが、やらなければならないことに変わり、お客様から支持される企業へと成長したのでした。

さらに、いくつかの施策を実行する中、少しユニークなのが「繁盛道」という企業向けのマーケティングサポートサービスです。たとえばニッセンのカタログや商品、請求書に企業のチラシや小冊子を同送したり、ニッセンの顧客に向けてダイレクトメール発送代行するなど、お客様にはより多くの情報をお届けし、他の企業様には新規客獲得や宣伝広告の支援をする有償サービスも生まれました。

数々の施策を実行し、お客様の支持が得られた結果、99年には1035億だった売上が3年後には1566億円に、営業利益も39億円(01年度)から104億円 (03年)と大きな業績回復を果たすことになりました。


    「ちょっといいな」が合言葉

2002年10月、まだV字回復の途上であったニッセンは、中期経営計画を発表しています。「流通の仕組みを改善して、お客様に真に喜ばれる価値ある商品を提供し続ける」など5つの基本理念をベースにしたものでした。このほか5項目の中には「地域社会の一員として社会とのコミュニケーションを深め、積極的に社会貢献活動を実践していく」といったものも含まれていました。

これをベースに各事業部は、それぞれにスローガンを打ち出し、挑戦目標を設定しました。通販事業部は、基本理念に呼応するかのように「いつも手もとにニッセンカタログ、ちょっといいなをお届けします」をスローガンにしました。そして2006年度には売上高対比営業利益率10%を目指すという目標を掲げました。企業としての収益性重視の姿勢を追求するとともに、社会貢献活動への取組みをはっきりと示した目標でした。「目標に向かって取り組む姿を社内外に示し、自分たちの気持ちを奮い立たせなければスローガンも目標も絵に 描いた餅になる」と通販事業部長はじめ幹部社員たちは考え、それを実現する具体的な取組みの検討を始めたのでした。ある時、誰が提案したのでしょうか、どこからともなく「飛行船を飛ばそう」といった意見が出てきました。飛行船を全国の空に飛ばしてニッセンの思いを知ってもらうというものです。奇抜なアイディアに反対の声はありませんでした。早速、社内に飛行船プロジェクトが立ち上げられ、具体的な企画作りが始まりました。

2004年4月22日、前年に続いて全長40mの有人飛行船「チョッピー」号 は、北九州市小倉北区の「西日本総合展示場」をゆっくりと飛び立ちました。 途中、北九州、神戸、東京、札幌のチャリティイベント会場などへ立ち寄り、 5月30日、最終地である札幌市中央区、JR札幌駅南口「人の広場」へ降り 立った時には、スタッフ全員がひとつの事業をやり終えたという満足感で溢れていました。全国4会場で行ったチャリティイベントには、数多くの人たちが 参加してくれました。そこでは「ぼくたちにできること」をテーマに寄付金を募り、集まったお金は財団法人「がんの子供を守る会」へ贈っています。社会貢献を果たそという熱い思いが込められていました。飛行船を飛ばしたことで 「全国の人たちにニッセンが掲げる大きなビジネス目標を知らせ、地域の人たちと一緒になって幸せを追求している企業であることを知ってもらえることができた」と言います。このイベントの合言葉となった「ちょっといいな」は、その後、ニッセンのロゴマークにも使われるなど、企業のキャッチフレーズとして浸透していっています。

こうした取組みと相まって同社は、2000年からカタログの商品をインターネットで受注するネット販売を本格的に始めるなど、新しいビジネスモデルに挑戦しています。03年は224億円を売上げ、04年には305億円の売上げを予想するほとです。また01年には、携帯電話の普及に併せて携帯で注文ができるモバイルショッピングにも着手しています。この売上げが急伸中で、今ではネット販売全体の40%を占めるまでになっているといいます。同社の代表取 締役社長片山利雄氏は「これからの通信販売は第一優先順位がお客様志向なく しては存続・成長しません。ニッセンはハード・ソフトの両面で顧客満足の向上に取り組んでおり、そして今後もますますそれを発展させていきます」と、話しています。

ニッセンは通販業界の大手企業となった今もなお、顧客志向の通販のあるべき姿を模索し続けているようです。


    エピローグ

ニッセンの通販カタログは、総合カタログだけでも春、夏、盛夏、秋、冬の5回、年間約5000万部が発行されています。1冊のカタログにはアパレルやイ ンテリア、雑貨などあらゆる生活に必要な商品が3000点以上掲載されているといいます。電話帳よりもずっしりと重たいこのカタログは、同社の”航空母艦”でもあります。新規顧客拡大をねらって書店で配布するほか、配布にも工夫を凝らします。ここからターゲット別の専門カタログが生まれ、そのカタロ グと顧客とのネットワークを利用して他企業のチラシやサンプル商品を同送する新しいビジネスモデルも開発しています。

そして今は、パソコンや携帯電話を使ったインターネットカタログも充実させるなど、ニッセンはお客様の「ちょっといいな」を満足させるために、日夜、新しい通販を目指し続けているのです。





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